雪見屋本舗 月見酒
よしなしごとを無責任につらつらと綴る
プーチン・・何者?
ロシアのプーチン首相のアクション映画張りの活躍の様子がロイターで紹介されていた。
しかし・・この首相、まだ年は55歳、いまや国内に怖い物無しの状況なんだろうな。
ロシア経済も非常に活況を示しているらしいし。
あまり強すぎるトップはやはり危険なにおいがする。
まあ日本がヘタレばかりだから尚更なのだが・・。
慎太郎さんがもう二十年ぐらい若ければねぇ・・。
プーチン首相、トラの襲撃からカメラマン助ける=ロシアメディア
2008年 09月 1日 14:25
[モスクワ 31日 ロイター] ロシアのメディアは31日、プーチン首相(55)が、野生のアムールトラの襲撃からテレビ局のクルーを助けたと報じた。同首相は、研究者らによる野生のトラの監視方法を視察するため、国立公園を訪問していたという。

同国の主要テレビ局によると、プーチン首相はわなにかかったアムールトラを見るため、野生生物の専門家たちと一緒に現地に到着。その際にトラが逃げ出し、近くにいたカメラマンに向かって走ってきたが、旧ソ連国家保安員会(KGB)出身のプーチン首相がすばやく麻酔銃を打ってことなきを得たという。
プーチン首相はその後、トラの歯の計測や、首の周囲に衛星発信機を装着する仕事も手伝った。
しかし・・この首相、まだ年は55歳、いまや国内に怖い物無しの状況なんだろうな。
ロシア経済も非常に活況を示しているらしいし。
あまり強すぎるトップはやはり危険なにおいがする。
まあ日本がヘタレばかりだから尚更なのだが・・。
慎太郎さんがもう二十年ぐらい若ければねぇ・・。
プーチン首相、トラの襲撃からカメラマン助ける=ロシアメディア
2008年 09月 1日 14:25
[モスクワ 31日 ロイター] ロシアのメディアは31日、プーチン首相(55)が、野生のアムールトラの襲撃からテレビ局のクルーを助けたと報じた。同首相は、研究者らによる野生のトラの監視方法を視察するため、国立公園を訪問していたという。

同国の主要テレビ局によると、プーチン首相はわなにかかったアムールトラを見るため、野生生物の専門家たちと一緒に現地に到着。その際にトラが逃げ出し、近くにいたカメラマンに向かって走ってきたが、旧ソ連国家保安員会(KGB)出身のプーチン首相がすばやく麻酔銃を打ってことなきを得たという。
プーチン首相はその後、トラの歯の計測や、首の周囲に衛星発信機を装着する仕事も手伝った。
[日本経済復活の会「借金時計」]←少しほっとします(借金は増えてはいるが、GDP対比は減っている)
私もあなたの数多くの作品の一つです
弔辞は故人を偲び厳かな気持ちにいざなってくれるが、何回も聞きたくなるような物ではない。
しかし、今回の赤塚不二夫氏に送るタモリ氏の弔辞は感動を覚え、全文を記録しておきたい気持ちにさせる物だった。
破天荒な赤塚氏のギャグ漫画の裏打ちには、この弔辞でしか知る事のできなかった氏の無類な「人」に対する優しさがあったということに気付かされた。
氏のスタイルを継いだ漫画家は数多いが、赤塚氏同様、作者の人となりがにじみ出てくるような作品を残して行ってもらいたい物だ。
タモリ氏が年齢を重ねるごとに存在感を増し、芸能界に於いて大きく信頼される存在と成り得て行った背景には、赤塚氏の言葉では無い教えがあったということなんだろう。
あらためて、安らかにおやすみ下さい。
合掌
引用です。
赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文
2008.8.7 11:39
赤塚不二夫さんの告別式で弔辞を述べるタモリ(森田一義)さん=7日午前10時43分、東京都中野区中央の宝仙寺(代表撮影) タモリさんの弔辞は以下の通り。
「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないなら、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」
しかし、今回の赤塚不二夫氏に送るタモリ氏の弔辞は感動を覚え、全文を記録しておきたい気持ちにさせる物だった。
破天荒な赤塚氏のギャグ漫画の裏打ちには、この弔辞でしか知る事のできなかった氏の無類な「人」に対する優しさがあったということに気付かされた。
氏のスタイルを継いだ漫画家は数多いが、赤塚氏同様、作者の人となりがにじみ出てくるような作品を残して行ってもらいたい物だ。
タモリ氏が年齢を重ねるごとに存在感を増し、芸能界に於いて大きく信頼される存在と成り得て行った背景には、赤塚氏の言葉では無い教えがあったということなんだろう。
あらためて、安らかにおやすみ下さい。
合掌
引用です。
赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文
2008.8.7 11:39
赤塚不二夫さんの告別式で弔辞を述べるタモリ(森田一義)さん=7日午前10時43分、東京都中野区中央の宝仙寺(代表撮影) タモリさんの弔辞は以下の通り。
「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないなら、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」
[日本経済復活の会「借金時計」]←少しほっとします(借金は増えてはいるが、GDP対比は減っている)
もう一発優歌団「ザ・エン歌」 ホンモノ
音楽的な考証はよく判らんが、AM(エーマイナー)で始まるこの曲、なまじっかの在来演歌よりぐっと心に迫る気がするのは、単に私の欲目だろうか。
決してメジャーになれないからこそ「エン歌」保存版
決してメジャーになれないからこそ「エン歌」保存版
[日本経済復活の会「借金時計」]←少しほっとします(借金は増えてはいるが、GDP対比は減っている)
おそうじおばちゃん
大阪では年収800万円のお役所にお勤めのお掃除おばちゃんがいるらしい?
おそうじおばちゃんといえば、「優歌団」
このご機嫌さは、30年近く経っても変わらない。
イヤむしろ、こんなご機嫌なバンドは他にはいまだかつて見たことが無い。
大好物です。
ライブ見に行きてぇ・・。
おそうじおばちゃんといえば、「優歌団」
このご機嫌さは、30年近く経っても変わらない。
イヤむしろ、こんなご機嫌なバンドは他にはいまだかつて見たことが無い。
大好物です。
ライブ見に行きてぇ・・。
[日本経済復活の会「借金時計」]←少しほっとします(借金は増えてはいるが、GDP対比は減っている)
高田渡「自衛隊に入ろう」なぎら健壱
これも、現代とリンクする。・・・と言うか、当時は若者のトレンドは左思考でしたから、間違いなくこの「自衛隊に入ろう」は、たっぷりと皮肉を込めた歌だったんであります。
時の自衛隊の広報部は、真面目に受け取り、この詩を勧誘の手段に使おうと真剣に考えた事があるというまことしやかな逸話も残っております。
自衛隊の皆さんには、ここんとこ立て続けの災害復興には本当にお世話になっております。
しかし、ヨウツベ恐るべし。
いくらでもありますな。
この方向に偏りつつ、進める愚をお許しください。
自衛隊に入ろう
お世話んなります。アチコチ押していただくと嬉しいです。
お願いします。 人(_ _ )タノンマス
時の自衛隊の広報部は、真面目に受け取り、この詩を勧誘の手段に使おうと真剣に考えた事があるというまことしやかな逸話も残っております。
自衛隊の皆さんには、ここんとこ立て続けの災害復興には本当にお世話になっております。
しかし、ヨウツベ恐るべし。
いくらでもありますな。
この方向に偏りつつ、進める愚をお許しください。
自衛隊に入ろう
お世話んなります。アチコチ押していただくと嬉しいです。
お願いします。 人(_ _ )タノンマス
[日本経済復活の会「借金時計」]←少しほっとします(借金は増えてはいるが、GDP対比は減っている)




